高鳥居城の話


高鳥居城の話 写真

杉山の西に延びる尾根上には、戦国時代に山城(注1)が築かれたとされる岳城山があります。
ちょうど須恵町との境になるこの頂きには、現在記念碑が建てられ、かつては戦場であったこの地を偲ぶ事ができます。
ところで、星野村と博多区の吉塚とこの山城には深い関係があるのをご存じでしょうか?
天正14年(1586年)8月25日、敵の豊臣秀吉軍が南下するのを知った島津義弘は星野村出身の星野兄弟(注2)を高鳥居城に守らせて、撤退してしまいました。激しく戦う秀吉軍に、星野兄弟はなすすべもなく落城させられてしまいました。
秀吉軍の将であった立花宗茂は、好戦して亡くなった星野兄弟の塚を造り、手厚く当時の堅糟村に葬ったとされます。
今ではこの地を星野兄弟の名にちなんで「吉塚」としたそうで、博多区「妙見」の交差点付近にお地蔵様が祀られています。

(注1)山城:
永仁元年(1293年)、尾仲の地頭に任命された河津筑後守貞重が岳城山頂に土塁を築き、高鳥居城と名付けた。一説によると、蒙古の第3襲来に備え、博多湾が一望出来る岳城山に北条氏が狼煙台を作ったのが始まりとされる。

(注2)星野兄弟:
兄の名を星野中務大輔吉実(ほしのなかつかさよしざね)、弟を星野民部少輔吉兼(ほしのみんぶしょうゆうよしかね)と言い、この兄弟を葬った塚を当時は吉実塚と言ったそうです。


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