松田前副町長お別れの会挨拶

去る11月19日に逝去された松田前副町長のお別れの会が12月26日に執り行われました

謹んで松田秀幹副町長ご逝去を悼み、お別れの言葉を申し述べます。

秀幹さん、11月19日に貴方が逝ってひと月余りが経ちました。

新型コロナの影響もあり、11月21日の葬儀は静かに見送りましたが、こうして本日、たくさんの方にご参列いただき、改めてお別れの会が執り行われましたことをご遺族の皆様、篠栗町職員互助会に感謝申し上げます。

今年の7月、「どうも五十肩の調子が思わしくないので、病院で何日か検査を受けてきます」と穏やかに話してくれた姿が今も目に焼き付いています。「そうやね、なかなか治らないみたいやから、しっかり診てもらったほうがいいね」

そんなやり取りが、貴方と直接交わした最後の会話になろうとは夢にも思いませんでした。

数日後の電話で、「町長、癌と言われました。すみません、しばらく治療しなくてはなりません」と半泣きの声。

「今は医学も発達しているから絶対治るよ。治療に専念してね」と励ましましたが、今思えば、秀幹さんが検査入院した後の副町長室は、見事なまでに綺麗に整理されていました。長引くことを覚悟した貴方の姿がそこにあったのだと思います。

10日ほど経った頃でしょうか、再び電話で「癌センターに移ることになりました。すみません」と悲痛な声。返す言葉もなくただ、「頑張って治して戻ってきてね」と言うのが精いっぱいでした。電話の向こうで、貴方が涙声で、「絶対もどってきますよぉ」と声絞り出すように話してくれた声は今も耳にしっかりと残っています。まさかこの電話でのやりとりが最後になろうとは。

新型コロナ感染対策防止のためとはいえ、一度も病院に見舞いにも行けず、手を握って直接励ますこともできなかったこと、悔やんでも悔やみきれません。

11月19日の夜、棺が病院からご自宅に戻った後、やっと会うことができた貴方の顔は、とても穏やかでした。苦しかったであろう闘病生活の後の、貴方の少し微笑んでいるような優しい、静かな姿に接し、永の別れとなった悔しさを抑えて、「お帰りなさい」と声をかけるのがやっとでした。

平成29年4月、役場を1年早く退職いただいて、副町長職をお願いしました。

職員としての在職中は、学校教育課長を経て、平成24年4月からまちづくり課長として大いにその手腕を発揮していただきました。事業主体に軸足を変えた私の右腕として、当時購入した九州大学演習林の跡地利用計画、また、合併60周年を記念として建設しようと発案した篠栗駅東側自由通路の取り組みの両方とも、私の思いをしっかり汲んで一つひとつ実現に向けた作業や事務手続きを緻密にこなしていただきました。

一方で、同僚や後輩職員を包み込むやさしさと豪快に酒を飲む姿、職員から尊敬され信頼される姿を見るにつけ、城戸副町長の後任には貴方しかいないと考えたわけです。

貴方は、そうした私と前任の城戸副町長の思いを受け止めて副町長の役目を快く引き受けてくださいました。

町長という職務は、副町長が背中をしっかり支えてくれて初めて大きな推進力を発揮してまちづくりを進めることができます。事務全般、職員管理のすべてを包み込むように淡々と静かに仕事をこなす松田副町長の姿は、まさに私にとって理想の副町長でした。

私自身、次の4年を任せていただくことになった今、もうしばらくは二人三脚で仕事ができると思っていましたが、それも叶わぬこととなりました。篠栗町議会12月定例会、私の席の隣にいるはずの貴方の座席表が倒されたまま。9月議会でも貴方は議会への出席が叶いませんでした。そのときはあなたが病院でがんと闘い、必死で戻ろうと頑張っていたとき。私は隣に副町長が着席しているつもりで議会に臨みました。しかし、12月議会では、既に貴方は還らぬ人となっていました。本会議場や特別委員会室で、貴方がいないことの虚しさを噛みしめて静かに議員の皆様とやり取りをしました。

令和2年があと数日で終わろうとしている本日、この12月26日という日を、私たち残された職員は決して忘れません。悔やんでも悔やみきれませんが、私たち残された篠栗町職員は、松田副町長の町政全般に対する誠実な仕事ぶりを手本に、チームとして篠栗町のまちづくりに邁進するほかはありません。

貴方と私でとりかかった、「篠栗北地区産業団地」は、令和4年春には進出企業の操業が開始され、篠栗町の新しいシンボルゾーンとして町内外の人たちの交流の場となることでしょう。二人で酒を酌み交わしながら夢見た新たな篠栗町の姿が現実となるのです。

これから先も、篠栗駅東側自由通路「ささぶりっじ」を渡る度に、そして篠栗北地区産業団地に立って、若杉山、米の山の遠景を楽しむ度に、貴方と一緒に形にしてきた事業・まちづくりのことを思い出すことにします。

貴方に頑張っていただいた副町長室の席は、もうしばらくは空席のままにしておきます。遺影を机の上に置き、職員が挿してくれている優しい色の花とともにもうしばらく貴方の大きな存在の余韻に浸ります。

お大師様は、「稲妻のような一瞬の生涯を駆け抜けて、私たちはみな独りで生まれ、独りで死んでゆく」と仰っています。

10年、20年はあっという間です。おっつけ私たちも貴方のもとへと参ります。又優しい笑顔で迎えてください。

どうもありがとうございました。そして、今後とも篠栗町の発展を見守ってください。

(令和2年12月26日)