鉾立山(ほこたてやま)


鉾立山 イラスト

神代(かみよ)のころ、海津見神(ワダツミノカミ)の娘である玉依姫(タマヨリノヒメ)は、神武(じんむ)天皇の尊父(そんぷ)である彦波剣武鵜茅葺不合尊(ヒゴナミサタケウガヤフキアエズノミコト)に嫁いだ際に鎮座する山を求め、筑紫(つくし)の山野を巡幸(じゅんこう)していました。
あるとき一行は鞍手と糟屋両郡に聳(そび)える嶺にたどり着きました。
この山は、周囲の山より高くぬきんでており、眺望は絶景で、東に遠く豊(とよ)の国、西には筑紫の山々を見渡し、北には大海原が開けてはるか韓の国さえ望まれる、誠に神の鎮座するのにふさわしい山と思われました。
玉依姫は、吹上げてくる風に髪をなびかせながら、「あなすがすがし」と仰せになられました。そこで、この山をすがだけ(菅岳)と呼ぶようになったと言われています。
神の鎮座する山はここ(菅岳)に決まると思われましたが、遠く南西に山容(さんよう)の美しい山「竈門(かまど)山」が見えました。どちらの山も大変魅力的だったのですぐには決めることができませんでした。そこで、神々はどちらの山にしようかと話し合いましたが、「いずれか高きを選ばん」と言うことになり、どちらか高い方の山を鎮座する山に決めようとしたそうです。
そこで、菅岳の前の山頂に鉾(ほこ)を立て、「さて、どちらの山が高いのかな?」と測ろうとすると、不思議な事に今まで高かった菅岳が、裾の方から少しずつ減り始めていき、竈門山より低くなってしまったではありませんか。そのため、この菅岳を「へり山(縁山)」と言い、鉾を立てた山を「鉾立山(ほこたてやま)」と呼ぶようになったそうです。
その後、ご一行は竈門山に向うために縁山を下りることになりました。途中、咽が渇いたので山腹に湧く清水を呑み、渇きをいやしたそうです。そこでこの場所を「呑山(のみやま)(野見山)」と名付けました。
こうして、神々は筑紫の竈門山【宝満山(ほうまんざん)】に到着し、この地に永く鎮座することになったそうです。
今でも竈門山の宝満神社(まんじんじゃ)は、玉依姫を主神として祭祀(さいし)され、全国宝満宮の総本社として、神徳(しんとく)高く尊崇(そんすう)されています。

『篠栗町誌(民俗編)』より


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