金撒き岩


金撒き岩 イラスト

英彦山は修験道の国内三大聖地の一つとして古くから知られており、錫杖の音や吹き鳴らす法螺の響きが辺り一面の山々にこだましたところでした。
山伏達は毎年、英彦山での「定」の修行が終わると、九州各地に散らばり檀徒や信者などを訪れ、浄財の喜捨勧進の行脚回向に勤めていました。
ある年の晩秋、筑前地方の勧進を終え帰途についた一人の山伏が、奉納金の入った笈を背負い、篠栗宿を過ぎ八木山の険しい峠にさしかかったときにはすでに日は暮れ、辺りはすっかり暗くなっていました。
山伏はやむなく山伏谷の粗末なお堂を見つけ、そこで一夜を明かすことにしました。周辺の枯木を拾い集め火をつけ、暖をとりながら堂内を見渡すと、檀上に一本歯の下駄を履いた役の行者像がこちらを睨みつけていました。
お堂の壁はいたるところ破れており、その壁のあちらこちらからは隙間風がピューピュー吹き抜けていきました。夜風が身にしみて、一人明日のことを考えながら横になろうとしたとき、お堂の外に人の気配を感じ、ふと振り返ると、そこには数人の山賊が立っていました。
山賊の一人が進み出て、
「やいやい、やせ山伏。命を取ろうとは言わねえ。おとなしく笈の金を出しやがれ」
と大声を出しました。
山伏は側にあった錫杖を身構えましたが、多勢に無勢、とても勝ちそうにありません。
しかし、長い間山野を駆け巡り、野に寝、山に臥して集めたこの大事なお金を取られてなるものかと、後の羽目板を蹴破り外に出て、大きな岩の上まで逃げましたが、その先は吸い込まれるような漆黒の断崖絶壁でした。
「南無英彦山大権現、別しては太祖、役の行者様。この勧進のお金を護らせたまえ。」
と唱えながら笈のお金を鷲づかみにしたかとおもうと英彦山の方向に向かって投げ上げました。
するとあら不思議。お金は空高く舞い上がり、木の葉のようにひらひらと英彦山の方向に飛び去っていきました。
一夜が明け、辺りがふたたび静寂に包まれた頃、そこには哀れな姿をした山伏の亡骸だけが大岩の上に転がっていました。里人はこの山伏を哀れに思い、山伏塚をつくり、祀ってやりました。
今ではその山伏がお金を撒いたところを「金撒き岩」と言い、非業の死を遂げた山伏の伝説が語り継がれています。
「金撒き岩」は、現在篠栗新四国八十八ヶ所第三十四番札所宝山寺の境内にあり、信仰のために命を落とした山伏の霊を守るようなたたずまいを見せています。

『篠栗町誌(民俗編)』より


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